五十おやじの今日のひとネタ

とるに足りない50のオヤジによる、取りとめもない話。

【夢】

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私こんな年齢になって、夢があるんですよね。

私塾を開きたいんです。

開くことが必ずしも目的じゃないんですがね。あくまでひとつの形としてです。

 

私塾って言っても、学習塾じゃないんです。

むしろ学校ではあまり教わらないような事柄を子どもたちに伝えたいし、考えてもらいたいんです。

 

例えば、お金の話。

と言ってもよくありがちなお金の生かし方みたいな投資系の話じゃなく、そもそもお金とはどういう成り立ちで生まれ、現在どういう仕組みで流通しているのかという大前提のお話です。

 

あとは政治の話とか。米中戦争や過去の歴史の背景なんかですね。

モノの見方を多角的に見れるようにもしたいです。

 

塾の目的は子どもたちに、夢や人生の目的をもってもらうことです。

そうすることで人生が充実して過ごせると思っているからです。

逆に言うと夢や人生の目的を持っていないと充実しないと考えています。

これは無意識的な場合もあるとは思いますが。

 

また人生の目的とまで言わなくても、仕事の目的を持っている人の場合その仕事に従事している間は充実するのだろうと思います。

 

そこで大切なのは、その夢や目的が人から与えられたものであってはならないということです。

 

現在の人生のほとんどはそういう人たちが多いと思います。

 

特に会社員です。

評価基準をすべて会社から与えられています。

それに適合しないと評価されません。営業実績だったり、業務効率だったり。

「それって、組織にいる以上アタリマエじゃん!」

て考えると思いますが、それがウツになる原因の一つだと思ってます。

 

他人が設けた基準によって自己を評価され、日々その判断基準の中で仕事を営んでいれば、いつしか自分の存在を自分で確認するのではなく、人に認められて初めて自分の存在価値を確認できるようになってしまうと思うのです。

 

そうなってしまうと組織や上長からダメ人間だと烙印を押されたと感じてしまえば、それすなわち生きている価値が無いと感じてしまうことになりやすくなるのだと思うのです。

 

しかし、自分自身で仕事の目的を立てていれば、他人から否定されても自分の目的に向かって進むことができると思うのです。

そして、充実した人生を歩み、同時に他人を幸せにできる人間になれると信じているのです。

 

長くなりましたが、それゆえに子どもたちには夢や目的をもてる人間になってもらいたいのです。

 

ではまた。

【大企業病】

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よく経営者の年頭のあいさつなんかでも聞きますね。

当然従業員を叱咤激励するために使う言葉ですが、そもそも大企業病ってなんでしょうか。

 

・指示をそのままあまり考えずに実行する。

・決まった事柄やルールを厳守しすぎで状況に応じた従順さが無い。

なんてところだと思います。

しかし、組織ってそれを求めて組み立ててきてませんかね。

 

それがいいとか悪いいとかじゃなく、そう言っている社長自身もそれを求めて指示しているケースって多いと思います。

それを急に大企業病だと言い出すのは、自分の発想だけで進めるのは心もとない、ということに気づいた証拠だと思うのです。

もちろん、臨機応変に対応しろ、という意味もあるでしょうが、それだけであればその点をストレートに伝えてくるはずです。

大企業病」と発言する裏には、それ以外に「もっとアイデアをくれ!」という叫びがあるように思うのです。

 

しかしですね、こういっては何ですが、たいていの場合そう言っている社長自身が大企業病的な仕事ぶりになっていることも多いのじゃないかという気もします。

 

どこか事なかれ主義に陥っていたり、これまで通りのやり方を踏襲していたり。

 

そういう姿勢って、下の人にもうつると思います。

言葉で言って聞かせることって、案外きちんと伝わらずに格好だけに終わることって多いと思います。

 

逆に言外の意思みたいなものの方が伝わってしまって、内心「あぁ、そういうスタンスでいいんだ。」と意識下にしみこんでしまうものではないかなと思います。

 

なので、経営者の方々は叱咤激励もいいですが、まずは自分自身を反省して、なぜ大企業病になってしまったのか、なぜ大企業病はダメだと思うのかという根っこの部分ををしっかり従業員に伝える必要があると思います。

 

そうまでして初めて、聴いている方は腹落ちするものなのです。

 

ではまた。

 

【高学歴採用】

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大企業のみならず、企業という組織体であればどんな人間を採用したいか。

そりゃあ、理解が早くて、組織のルールに従順な人間が都合がいいし助かりますよね。

いくら頭が良くても、いちいち反論反発されてたら仕事進みませんしね。

 

まず理解力という意味ではやっぱり高学歴の人間に軍配上がると思います。

いったい頭の中どういう引き出しになってるのかと思いますよ。

どんな新規の知識でも当たり前のようにスーっと習得しちゃうんですよね。

敵いませんね。

こういう人間を味方につけるのは武器になると思いますし、組織側からすればストレス少ないですよね。

業務も滞りなく進むというものです。

 

もう一つルールへの従順さという点ですが、頭いいからって従順とは限りませんけど、それでも高学歴になれたということは学校社会という一定の厳格なルールや規制に従ってきたという証でもあると思うのです。

 

それに、一定の評価基準である学力テストに対してその評価基準を是としてなじめているわけです。

であれば、組織の評価、大抵は数字と言われますが、要は稼ぐ金額です、これを評価基準にすることへのなじみも素直で早そうです。

 

そういう意味では、スポーツの分野で活躍していた人たちも採用される優先順位が高いようですが、同じ要因なんじゃないかと思います。

会社のルールに従い、管理職の指示に従順にしかも理解速く対応できる人間、これが会社から求められる人物像です。

 

会社にありがちな採用の要素には以下のようなものがありますが、

1. コミュニケーション能力
2. 主体性
3. 協調性
4. チャレンジ精神
5. 誠実性

3や5は正に会社のルールや基準に従順であることを求めていると思います。

そのうえでの1,2,4です。

1,2,4などの能力がいかに高かろうと、会社の規範を無視するような人間はそもそもの段階で切り捨てられます。

 

逆に言うと1,2,4は学歴では測れません。

 

しかし、本当は従順な人間よりも1,2,4の能力が今もこれからもかなり重要になるのではないかと思います。

 

とすれば、学歴偏重での採用を続けている企業はルールや規範重視の人間ばかりで凝り固まって、新たな発想ができず自滅していくのではないかと思います。

 

ちょっと論の幅を広げてしまいますが、新型コロナで倒産していく企業の中には、そうした問題点を内在させていた企業も多いのかもしれません。

 

それは大企業であっても同じです。

 

今までやってこれたのは、すべて想定内の条件下でしかものを考えない人間でも可能な状況だったからであって、自らの変革を起こしたりや外からの変革に対応することは到底無理ということなのかもしれません。

 

ではまた。

【公園のルール】

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いつからでしょうか。

公園でボール遊びができなくなったのは。

今や当たり前のルールになってますよね。

スケボー(Jボー)もダメ。

自転車ダメ。

 

確かに小さい子や妊婦さんには危険であることは、分かります。

でも、じゃあボール遊びはどこでやればいいのでしょう?

 

公園とはだれでも自由に使えるものですが、それゆえにだれにとっても安全であることを目指すのは分かります。

でもねぇ締め出すだけやって満足してる人たちがいるんでしょうね。

 

そこでルールを破ってボール遊びしてると、偉そうに怒鳴り散らすオヤジとかオバハンといるわけですよ。

ルールを盾にして威張り散らすやついますよね。ネットなんかでも。

 

そういう偽善者的な人間のかっこうの標的になっちゃうんですよね、そうした子どもたちは。

 

昨今のコンプライアンス遵守傾向もその雰囲気あるなと思うんですよね。

 

コンプライアンス遵守って、聞こえはいいです。

もちろんそれ自体がダメとは言いませんが、問題はそれを守ることが絶対の善なのだという極端な流布に怖さを感じます。

 

どういうことかというと、コンプライアンスに背くような事態を見つけたら、勧善懲悪的に堂々と弱い者いじめ、少数派(しばしば多数対一人)いじめが横行すると思うのです。

 

ネットなんかでもそうですよね。

不倫や汚職なんかニュースに上がろうものなら、自分にどういう関係があるかなど無視してガンガン責めまくりますよね。

たしかに正論なのですが、すげー偉そうなんですよ。

ワイドショーのコメンテーターみたいに。

 

そういうところでうっぷんを晴らしてるんですかね。

 

私の勝手な偏見なんですが、こういう人ってむしろどこかで自分がやらかすんじゃないかと思うんですよね。

言ってた自分が不倫したりとか。

 

そんなに人のことを攻撃できるほど真っ白な人っているんでしょうかねぇ、と思いますし、人って間違いやらかすよねって部分も理解していいんじゃないかと思います。

 

そりゃいけないことは多少「ダメだなぁ」くらいは言ったとしても、言わんでも分かるわくらいの正論をあーだこーだのたまうのは了見が狭いと思ってしまいます。

 

戻りますが、公園のルールも多くなってきているという傾向は、決めてもらわないと注意できないという、あるいはそもそも注意できないという社会になってきているということなんじゃないかなぁと思います。

 

こういうのって政権側に自分たちの自由をあげちゃって、どうぞ制限してください!っていうドMの発想じゃないかと思います。

 

でなければ、ジジイの発想じゃないかと思います。

 

ではまた。

 

 

 

【速読なんかやめちまえ!】

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表題では威勢のいいこと言ってますが、実は速読できるようになりたくて、色んな速読の本を読み漁りました。

 

でもいまだに速読できてません。

 

しかしです、そんな努力をしながら、一方で速読への疑問もあるんです。

 

要は、急いで読み過ぎて味わえないんじゃないかという素朴な疑問です。

速読って、人間の移動で言えば、普通の歩いて移動するのに対して自動車や電車、飛行機を使うようなものだと思うんです。

 

結果的に目的地に到着するという意味では歩くのに比べれば言うまでもなく早いです。

 

ですが、道端の草花や春のそよ風に気づくことはできませんね。

途中道すがら出会った人との会話や、ふと気になった店やスポットでの探索などできようはずもないです。仮に車から降りてということであれば、その瞬間は歩いているのと変わりません。

 

でも現代は時間を急ぎますからね。

みんな早いことが善ということになってます。

 

仕事なんかもライバル会社より少しでも早く商品化したり、顧客へ提案しなければ売り上げが減ってしまいます。

 

なので、この世の中スピードが重要ということになってます。

 

が、何か大切なものを忘れているような気がするのです。

読書でもそうですが、「味わう」ということです。

 

「味わう」とは、受けた感覚から想像を膨らませるということだと思うのです。

これは急いでいたら充実させることができないと思います。

 

ある本を読んむとき、速読すれば短時間で読んだことにはなります。

ですがせいぜい要約ができるという程度だと思います。

1ページ1ページじっくり読んでいたら、読みたい本を人生の中で読み切ることはできないかもしれません。

でも、じっくり味わうことができるのです。

1冊に対する感動の量も質も格段に違うと思うのです。

 

その感動の積み重ねが人間や人生の厚みを作っていくのじゃないかと思います。

 

速読は素晴らしい技術だと思います。

が、一方で「味わう」という感動を犠牲にしていることを忘れてはならないと思います。

 

言ってみれば、その程度の本であれば速読は「あり」だと思います。

 

結局は速読も使いようということでしょうか。

表題と異なってすみません。。

 

ではまた。

【ダイバーシティ】

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この言葉を聞くと、何らかの障碍を負っている方や性別、国籍なんかを思い浮かべますよね。

 

でも、私、働いていてつくづく思うことがあります。

 

見てわかるような、または差別の問題をよく指摘されるようなケースも確かに多様性として注目すべきなのですが、もっと注目されてもいい部分があると思うのです。

 

それは、性格です。

 

性質でもいいです。

 

もっと別の言い方をすれば、人となりとか考え方、価値観です。

 

世の中色んな人がいます。

 

どうしても自分の言い分を通したい人、

なかなか自分の意見を言えない人、

個別の行動を起こしてしまいがちの人、

集中すると周りが聞こえなくなる人、

自分は正しいと思い込んでる人、

などなど。。

 

こういった「よくいるじゃん」という感じだったり、ちょっと変わった人だったり、というその人独特の特徴です。

 

実は人それぞれにおけるこのレベルの違いを認識せず、というよりその存在を認めず、みんな一律に同程度の成果を求めようとしているのが今の世の中です。

 

一定の基準、たいていは平均に対して求める成果を出しているかどうかで評価するわけですよね。

だからみんなまずは平均を求めることになるんです。その平均より上回ればいいというわけです。

 

ダイバーシティとは、色んな価値観を持った人間がそれぞれ認め合う世界なんじゃないかと思うのです。

 

と言って、勝手ばっかりの人間の言うことをきくということではないですけどね(^^;)

 

ではまた。

【管理職というもの】

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私も管理職という立場にしばらくついたことがあるんですが、一般的な管理職からすると「なんもやってなかった」です。

もちろん一定の最低限のやらなきゃいけないレベル、例えば毎週の会議とか各メンバーの評価とか、連絡事項などはやっていましたが、いわゆる指導的なことはやってなかったです。

 

まぁ、部下がある程度ほっといてもやってくれていたというのはあるんですが、あんまり指示とか指導とかが業務的になじめないなぁと思っていたんです。

 

私の業務は主に契約書作成の相談を受けて作成するといったことなんですが、そもそも受け身的な業務なので、そうだったのかもしれません。

 

ただ、それはそれとして思うんですが、管理職の「管理」っていったい何でしょうかね?

マネジメントなんて言う言葉はみんな得意になって使いますが、ロングマンの英英辞典からすると、

the activity of controlling and organizing the work that a company or organization does

となってます。

組織の中でコントロールしたり仕事を整える感じでしょうか。

 

そう、コントロールなんですよね。

 

どうもマネジメントって聞くと、人をコントロールするイメージになるんです。

だから、業務を効率よく正確にこなせるように人、部下ですね、をうまくコントロールするのが管理職なんだと思うんです。

 

アタリマエじゃん!

 

て言われそうなんですが、これが私にとっては「??」なんですよ。

工場やファーストフードショップのように、生産しなければいけないものがはっきりしているような状況であれば、コントロールはまぁ分かるんです。

そうしたところでは、リーダーが統率しないと計画的に効率よく動けないでしょうから。

 

でも大抵のオフィス業務では生産するものが一定していないことの方が多く、みなその時々に応じて考えながら様々な対応をしているわけです。(もちろん工場の方々が何も考えてないということを言いたいわけではありませんので、ご理解を(^^;)

 

そうなると、コントローラーってうざいだけじゃないかなと。

 

そもそも仕事って、自発的にやりたいじゃないですか。

そこに「今日はあなた、これをこうやってください。」とか、指示ばかり出されたらやらされ感しかなく(実際やらされてばかりですしね)、充実しないと思うんです。

 

そういう方が助かるという方もいるとは思いますが、しばらく続けていると嫌になってくるはずですよ。

そしたらやる気が失せてくるし、ともすると上司に対する反抗心ばかりになってくると思うんです。

 

それに上司は自分の指示が絶対になってきますから、プレッシャーもありますし、責任感から強制的になってくると思うんです。

実際そういう方をよく見ます。

 

上司だってね人間ですよ。間違えもするし、自信もなくすんです。

そんなにスーパーマンじゃありません。

 

だから初めから「大した事できませんよ」ってしといた方がいいんですよ。

「むしろ業務については皆さんの方が私よりできますよ。」くらいで。

嘘つけってことではなく、ほんとにそういうこと多いと思いますよ。

 

私は管理職のやるべきことは、部下の将来のためによく考えてあげることが最も重要なんじゃないかと思います。

それが伝われば、部下は一生懸命やってくれますよ。

 

そう信じて今までやってきました。

ありがたいことに、今まで部下だった方からは今でもよく声を掛けられ、飲みに誘われます。ありがたいことです。生かされてるなぁと思います。

 

そう感じながら生きていけることが幸せです。

 

ではまた。