五十おやじの今日のひとネタ

とるに足りない50のオヤジによる、取りとめもない話。

【消費の行方】

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買い物って楽しいですよね。

 

私も何かと気になるものがあると、ついお手軽なのもあってAmazonでポチってしまいます。

 

しかしよくよく考えてみると、これって際限なく物が供給され続けるってことは物理的に無いと思うんですよね。

 

人間の消費スピードに生産が追い付かないと思うんです。

生産と言っても、工場の能力ではなく、その原材料が枯渇するって意味です。

 

工業製品は鉱物資源から生産されているものが多いと思いますが、鉱物って数年で元の量に戻るようなものじゃないですよね。

 

しかも自然の営みであれば、循環していますが、工業製品は部分的にリサイクルされているものもほんの少しあるものの、大部分は埋め立てられるか、焼却されるかですよね。

要するに有機的に循環していないんです。

 

そんな中で、目的としては稼ぐために生産と供給をし続けるわけです。

人間とはそうやって生命を維持するものだと言わんばかりに。

 

お金は無限です。ある意味いくらでも数字をデジタルに打ち込んでしまえば、紙幣を刷らなくてもどんどん増やすことができます。

これからもさらに紙幣は使われなくなるでしょう。

人間の意のままです。

金融緩和や金融引き締めなんて偉そうにやってますが、あれはそういうことです。

お金の流通量はいくらでもコントロールできるのです。

しかもお金は人類の社会の中だけで存在しているので、その中では循環しています。

 

だから、人は経済は循環しており、経済とはお金の流れであるという認識を持った時、お金が尽きることは無い(破綻はあっても)という前提から、それに伴う物的生産供給も無尽蔵ととらえてしまいがちだ。

 

いや、たいていの人は有形のモノが無地像とは、冷静に考えればあり得ないことは理解できていると思う。

けれども、日々の生活や仕事の中で、生産供給が原材料の枯渇から終了するとは想像しない。

仮にある原材料が枯渇しても、他のそれに代替えできるものを見つけ出し、安心知るだろう。

 

しかし、いつかはすべてが枯渇するときがくる。

 

そんなことを考えてSDGsも叫ばれているのだろうが、どうも私はああいうクリーンなイメージを売り物にする取り組みが好きになれない。

 

それは置いといて、この飽くなき消費の継続はいったいいつまで続くのだろうか。

ほとんどの人類が、これはまずい、立ち戻ろう、と本気で行動を開始する状況というのは、どういった状況なのだろうか。

 

今新型コロナの騒ぎが収まらない中、本当に大切なものとはいったい何なのかを考えさせられる時期に来ているようにも思う。

 

ある意味残念なことに、まだ日本ではその認識が薄い。ラッキーな状況ともいえるかもしれないが。

 

しかし、今年の冬に第二波が襲ってきたとき、何が何でも物質的な充足感を求めるだろうか。

 

本当に必要な消費とは何だろうか。

今年の年末は、人類がそのことを考えさせられる時期の本当の起点となるのではないかと考えている。

 

ではまた。