五十おやじの今日のひとネタ

とるに足りない50のオヤジによる、取りとめもない話。

【陰謀論】

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ロスチャイルドイルミナティ、新世界秩序、JFK暗殺、天皇すり替え、マジェスティック12、ケムトレイルなどなど、陰謀論は面白いです。

 

でも火のないところに煙は立たないとも言いますし、事実は異なるにしても何かしらあったんでしょ?と思いたくなるミステリー&ファンタジー好きです。

 

例えばロスチャイルド家を中心にした世界征服的な話もところどころ実話(イギリス銀行に金貸して、ヨーロッパの主な中央銀行を一家で牛耳っていた。FRBの主な出資者。とか)そういう背景がありつつ、なぜそんなことをしたのか?について、以下のような言葉が残されているそうです。

 

Permit me to issue and control the money of a nation, and I care not who makes its laws.

「私に通貨発行権を与えよ。そうすれば誰が法律を作ろうと私の知ったことではない。」(マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド 1970年)

 

ひどいですね。

もう好きにやりたいと言っちゃってます。

これじゃ、後々の出来事を紐付けられても仕方ないですよね。

 

でもこれ本当に言ったんですかね?こんな本音をうかうかと。という疑問は残ります。

まぁ、ここではどっちでもいいんですが。。

 

私が気になるのは、結局陰謀論というのはそれを話す側や特に話を聞く側の人間(要するに我々ですね)がそういった「陰謀の存在を信じたい」と考えているのではないかということです。

 

だって、そうじゃないですか。

こんなに自分らが面白くなかったり、苦労したり、ビクビクしたりと精神的に悩まされているのは、誰かのせいだ!って言いたいし、たくさんの人と共通認識として持ちたい。

そうしたら、少しは気が晴れるというものです。

「全部あいつらのせいだ!」

「でも俺はそのからくりを知っている。」

ま、知ったとしても何もできないですけどね。

でも、裏側を知ってますっていう優越感はありますよね。

それで多少救われる気もする、と。

 

だから、陰謀を存在させたいんですよ。

多少作りこんでもいいんです。どうせそうでないことを証明できないから。

 

でもそれなりに根拠めいたものは欲しいわけです。

とすると、世の中確かに誰かの欲望で企てられた事柄なんて、いくらでもあるものです。

大抵はお金目当てですが。

その出来事をうまく紐付けていくと一大叙事詩のように編纂されるわけです。

 

ご本人たちはそんなことまで考えているか知りません。

ですが、世界的な企てがいつも同じ特定の人々で企てられているかのように伝えられます。

大抵、ロックフェラーとかロスチャイルドとかが出てきます。

 

陰謀論をひそかな企みとして紐解いていこうとすると、どこかで空想的な部分が必要になってきます。

ファクトが捻じ曲げられて認識されてしまうのです。

物語として悪役は常に悪役でないと面白くないのです。

 

でも私思うのですが、結局同じ人間なんじゃないかと。

そりゃ育った環境も条件も全く違うし考え方の次元も異なるでしょうが、人間の欲望なんてその規模感を無視すれば、大体似たようなものになってくると思うんです。

要は金が欲しかったり、人にうらやましがられたかったり、権力をより盤石なものにしたかったり。

 

その規模感を抜きにすれば、私の会社の中でも日々見られると思います。

表向きと本音は違うことって多いじゃないですか。

評価を得たいがために、自分の部門での仕事に持っていきたい、でもそのまま言うと当然角が立つし、子供みたいだ。だから尤もそうな理屈をこねて自分たちのものにしてしまうなんてことありますよね。

これが、巨額の利権がらみになったら陰謀ですよ。

もちろん、より狡猾にやりますしね。

 

でも大抵はその辺までじゃないかなぁと。

それ以上のストーリーをつないでいくのは、物語としてはできても実際には何かと想定外のことが起きてそうそううまくは行かないのではないかと。

 

だからみんなその場その場で作戦を変えながら何とか切り抜けてきているのではないかなと。

それを始まりから終わりまできれいに計画を立てて、陰謀を企てて実行したなんてのはいくら頭が良くてもできないと思うんですよね。

 

ということで、陰謀論は物語としてとても面白いんですが、真実を見誤ってしまう可能性がかなりあるので、そこそこのファクト部分をつかんだらあまり深入りしない方が良いかなと思います。

 

ではまた。

 

【個人情報】

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個人情報は大事です。

漏洩されると妙な営業に使われたり、子供が付け狙われたりしかねません。

という恐怖が強いですよね。

その恐怖は本当なんでしょうか、というより妥当な恐怖なんでしょうか?

 

中学校では名札に住所とか無いんですってね。それどころか、小学校では名札は付けないそうです。

さらには、連絡網も漏洩されるといけないから、と作成しないそうです。

 

どんどんと神経質になってきています。

ただ、確かに変な奴はいます。

変質者です。

そういう輩は狡猾に住所を突き止めて付け狙う可能性があります。

なので、全く分からないではないのですが、だんだんと個人を特定できそうなものは一切開示しないという、状況になっていますよね。

特にSNSyoutubeなんかでは、

・自動車のナンバー

・顔の画像

・声

なんでも気になってしまうんでしょうか。

繰り返しますが、悪い奴は一定数います。

ただ、そういう輩はどうあってもどうにかして何らかしでかすものです。

 

だからってサンシャイン池崎みたいに公表することもないですが、例えばキャンプ動画でこまめに顔を何かで隠したりぼかしたりしている人見ると、正直うざったく思ってしまいます。

「どうして隠す必要あるの?」

と。

何か恥ずかしい内容というわけでもないのに。

それでも女性はまだ恥ずかしいのかなというのは分かりますが、男性ですよ。

中には声まで変えたり。

もうね、気持ち悪いですよ。

「あなた犯罪者なの?」

って、突っ込みたくなります。

でもそういうのは、見なきゃいいんで二度と見ません。

 

住所情報や口座情報、クレジット情報など、明らかに悪用される可能性のあるものは伏せるのもわかるんですが、わざわざyoutubeに載せるってことは、見てもらいたいはずなのに顔とか声を隠す。

「あの、、そこになんの興味もないんだけど」

という感じで、隠されるとむしろ気分悪くなります。

 

と、さんざん文句を言ってすっきりしたので、この辺でやめます。

 

ではまた。

 

 

 

【コロナパニック】

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今の時点では、緊急事態宣言まで至っていませんがこの先近い将来に行われる可能性は高そうです。

起きなければ、それはそれで「よかったね」という話なので、リスクを見て今後を考えておいた方がよさそうです。

 

それにしても、すでに、

・マスクの品切れ

・デマによる、トイレットペーパーやキッチンペーパーの品切れ

・特措法(新型インフルエンザ等対策特別措置法)改正によるパニック買い

・週末の首都圏外出自粛要請によるパニック買い

くらいのことは日本でも起きているわけです。

 

よく日本人は民度が高いみたいなことを言いますが、私もそれにはある程度賛同します。

確かに、どういった災害時でも火事場泥棒多発みたいなことはこれまで聞いたことがありません。

これは他国では無いかもなぁと思います。

 

ただ、パニック買いはおきます。

これは民度の高低ではなくて、周囲の動きに同調してしまうという人間心理(集団心理)なんだろうなぁと思います。

 

だから、「(民度高い日本人として)節度ある行動を!」というような呼びかけをしても厳しいのじゃないかなと思います。

スーパーに行ってしまったら、今すぐ必要でないものまで買ってしまう状況なのです。

 

一種のブームみたいな側面もあって、みんなが買ってるから自分も買ってしまうということなんでしょうね。

 

となれば、できる限りそういう状況のスーパーには行かないことですかね。

みんなが分散して買い物すれば、物資は十分にあるでしょうから。

 

それに、クラスター(集団感染)も起きずらいでしょうから。

 

今新たな心配事は、国内よりも中国経済が瓦解しないことですかね。

コロナが落ち着いたというのが本当であればまだよいのですが、やはり嘘で、第二波が襲ってきたり、バッタ襲来も重なって経済瓦解するようなことが起きれば、おそらく中共転覆しますよね。

そうなったら、なにより食料を求めて大挙して襲ってくるのではないかと。

もはや法律の歯止めもないわけですから。

なんかそんな心配もしたりして。。

 

ではまた。

 

【レジ袋】

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コンビニ袋とも言いますね。

これ最近使わないようにしましょう的な動きが活発じゃないですか。

それに紐づいてか知りませんが、ストローも最近店では提供しない方向になってますよね。

セブンイレブンのコーヒーのところにストロー置いてないですよね。

必要な場合は店員に言ってください。

と書いてあるんで、頼んでみたら紙のストロー渡されました。

まぁ、使用感は悪くなかったんですけどね。

 

それはいいんですが、私がちょっと思うのは、使っちゃダメに集中しすぎてるような気がするんですよね。

どちらも基本使い捨てのモノなのでそういったものはなるべく少なくした方が自然環境には良いというのは分かるんですが、これらだけじゃないでしょ!と思うのです。

 

ペットボトルだって同じじゃないかと。

さんざん変な所へ捨てられてますよ。

 

自然環境保護団体が何かをきっかけに騒ぎ出したのが発端なんですよね?

浜辺に打ち上げられたアザラシだかクジラだかの腹を切ったら大量のレジ袋が出てきたとか。

そりゃよくないですよね。

やめましょう!

そう、それはいいと思うんです。資源の使い過ぎにもつながってるんで。

でもさっきも言ったペットボトルはどうなんでしょう?

リサイクルしてるからいい?

それににしてはそこら中に散逸しているのを見ますよね。

それに漂流物と言えばペットボトルでしょ。

 

世界中の無人島でもペットボトルが漂着してない島なんてあるんですかね?

それくらい散逸してると思います。

 

でもペットボトルはやり玉にあがらない。

もうね、清涼飲料水のメーカーに「騒ぐな!」とでも言われてるんじゃないかと勘繰りたくなります。

レジ袋もストローもそこまで発言力強い企業はいないのかもしれないです。

 

こういうエコ的な動きって、本当に偽善的な目線で見てしまいます。

もちろん、いい面というか納得できる面もありますけど、企業団体ってろくなもんじゃないと思います。

 

でもこんなこと言いながら、ペットボトルが無くなったらちょっと困りますね。(^^;

 

みんなで水筒持ち歩きますか。

その場合は、炭酸は入れられないので今後炭酸飲料は売れなくなっちゃいますね。

あんなものはたまには欲しくなりますが、売れなくなってもいいんですけどね。

 

あー、そうか、そういう筋からの圧力なのかな。。

 

それでは。

 

 

【湯シャン】

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「湯シャン」て聞いたことあります?

そのままですが、お湯のみでの洗髪です。

シャンプーを一切使いません。

もちろんリンスやトリートメントも使いません。

初めて聞いたときは、意味が分かりませんでした。

「そんなんで綺麗になるわけないじゃん」

て、内心思いました。

お湯だけで、頭皮の油汚れが落ちるんだったら、シャンプーっていったい何なんだよ!

って思いましたもの。

だから、どうせ髪の毛がペタッとしてるんでしょ、とね。

 

ところがですね、湯シャンを教えてくれた方自身がもう何年もそうしているらしく、しかも私と同じくらいの年齢の男性なんです。

まぁおじさんです。

でも髪の毛は見たところ全く問題ない感じです。

更にです。

隣にいた女性(年齢はまぁ40歳くらいでしょうか)の方も同じように何か月もお湯のみらしいのですが、全然問題ないと。

どういうこと??

でもその男性の方が言うには、

「シャンプーが無い人たちだっている。でも彼らは髪が油でべとべとかと言ったらそんなことはない。動物だって同じだ。」

と言うのです。

まぁ、動物はたいてい汗をかかないかと思うので、比較対象としていいかどうかわかりませんが、何か一理ありそうな予感がしました。

しかし、そんな話の中、更に

「体洗うのに石鹸も使わないよ。」

と言うのです!

「うそー!」

って言いました^^

しかもナイロンタオルとか使わずに、お湯を使って手でさするだけ。

マジですか!?

 

確かに以前、体の汚れはお風呂につかるだけで70%くらい落ちるという話は聞いたことがありました。

 

ということで、試してみましたよ。

まぁ、無理と思えばやめればいいし、シャンプーも石鹸もあるわけだから。

と、疑いながらも始めてみました。

で、結果。

問題ありません。

最初の一日目から1週間、2週間、1か月、2か月。。

髪の毛がパサつくとか、逆にべたつくとか、フケが止まらないとか、かゆみが出るとか、、、一切ありません。

その方が言っていたのは、

「体に必要な脂分は病気でもない限り、体自身が自分で用意してくれる。」

と。

確かにそんな感じです。

じゃあ今までいったい何だったんだ!?

結局泡立てて、必要以上に脂分を取り除いて、それゆえむしろ脂分が余計に発生したり、逆に乾燥してフケが出たりしてただけ??

爽快感とか香りのためにむしろ不健康にしていた?

 

確かに、シャンプーやトリートメントを使った方が香りは良いと思います。

が、それはコロンを一振りかければ済む話です。

 

世の中、不必要なものを当たり前に使ってしまっていることもあるのかもしれませんよ。

一般的な常識がそうでないと知った時、たかだかシャンプーや石鹸の話ではありますが、陰謀めいたものを感じます。

儲けるために清潔ですっきりした感満載のCMを流しているのかもしれませんよ。

本当は無くてもよいものを、さも必要かのように思わせて売りつけてしまう。

そんなものって、他にもありそうな気がします。

 

ではまた。

 

 

【国語のテスト】

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嫌いだったですねー。

そもそも本も嫌い、読むの面倒、まして感想文とかの作文は苦痛。。

でもですね。

今は読書を楽しんでます。

それにこんなブログを書いてますので、書くことも苦じゃありません。

 

そんな状態になってから、娘が小学生だったころにテストをのぞいてみたんです。

文章があって、その下に設問がいくつかならんでる、スタイルは昔から変わってないです。

でも、とても気になったことがありました。

まず、文章の途中途中にある空欄や傍線です。

気になって読書に集中できません。

私の読書は読みながら、空想にふけるような読み方をよくやってしまうので、こんなものがあるととても邪魔です。

これを通して読み方を学ばせようとしているのであれば、スキルを養う前に読書が嫌いになってしまうのではないかと思います。

なぜなら、読めるようになる前に「本が面白い」という感覚を全く味わえないからです。

初めは間違えていてもいいのじゃないかと思います。

それでも面白さを見つけることができたり、あるいは面白そうだという本を見つけたりするのじゃないかと。

 

うちの子供たちは海外映画を字幕で見ることもありますが、スピードも速いし分からない言葉が出てくることも往々にしてあります。

それでも全体としてのストーリーや画面に集中して追いかけているわけです。

なんで追いかけるかって言ったら、「面白いから」。これしかないですよ。

そういう興味の発掘が何より初めにあるべきだという私の勝手で一方的な持論です^^;

 

しかもテストでは断片的な文章しか出てこないので、いきなりその世界に入りずらいですよね。

でも回答しないと叱られるわけです。それも正答じゃないと。

でも、正答ってあくまで問題を考えた人の答えなんですよね。

まぁ小学生が解くようなレベルのものはそれでもあまり外れはないような気がしますが、中には私でも「そうかなぁ」と思ってしまうものもありました。

 

小学生の問題ではないでしょうが、かつて阿部公房さんも「作者の私にだって分からないですよ」と言っていました。たしか、物語の趣旨を問うような問題だったかと思うのですが、彼曰く「それはむしろ読者がそれぞれ考え、受け止めるものが正解だと思っている。」のようなコメントをされていました。

 

問題の中でも代名詞が指し示すものは何?のような問題は分からないといけないなとは思いますが、文章の趣旨は危なっかしい気がします。

そりゃ、文章そのものの要約的なものは導き出せると思いますが、結局のところ作者というのはその文章から色々なものを受け止めて、あるいは空想したりして、人それぞれの世界観の中で享受してもらえればと思っているのじゃないかと思うのです。

でも国語のテスト的には、読者自身が感じたことではなく問題作成者が期待する解答でないとダメなわけです。

これじゃ、嫌いになりますよね、国語。

それに自分独自の意見はダメで、誰とも知らない他人の意見に迎合するように意識を向けさせられるわけです。

 

人の感受性を何だと思っているのか、と思います。

小学生の感受性はそもそもとても豊かです。

大人はむしろ感受性については、小学生に学んでもいいくらいです。

それなのに、文章の受け取り方については個人の感受性を否定して、一般的な感受性とやらを押し付けるんです。

これってもはや洗脳じゃないですかね?

 

私の子供は読書が嫌いです。

そりゃそうだと思います。

できるだけ読書してもらいたいという思いもあり、興味を持ってもらえるために小さいころから紙芝居や絵本を読んで聞かせていました。

でも今のところ嫌いなようです。

親が本をよく読んでいると子供も読むようになると言われていましたが、それも今のところなさそうです。もう少し先の将来で読むようになるのかもしれませんが。

 

ただ、学校の国語の授業ではもっと本を楽しめるような工夫をしてもらいたいと思います。

昔、灘中学の名物講師がされていた授業方法を思い出します。

彼は一冊の薄い文学作品を3年間かけて授業の中で読み進めたそうです。

特徴的なのは、その読み進める中で例えば「凧を揚げた」のような文があると、実際に校庭に出てみんなで凧あげしたそうです。

とにかく体感させるのだそうです。

そうやってじっくり体でも味わって、物語の人物に共感させたようです。

その教師は感動を味わわせたかったんだと思います。

面白さって、感動なんだと思います。

(こちらにそのお話がちらっとあります→https://www.sinkan.jp/news/2156?page=1

 

ぶつ切りの文章を次々に投げつけて、個人の感受性を結果的に否定して、いったい何をしたいのかと思います。

日本は良くゆるやかな社会主義国家と言いますが、本当にそうだと思います。

こういう人間の感受性という生きる上でもかなり重要な部分を汚染するようなやり方は即刻やめてほしいと思います。

 

国語の授業では「文章から感動を味わう」ということを何より提供してもらいたいと思います。

 

ではまた。

【エコロジー】

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ずいぶん前からエコロジーという言葉があり、もうしっかり定着していると思うのですが、この言葉を聞くたびにどうもモヤモヤしてしまうのですよ。

 

なんか直観的に、人間の都合ばかり考えたものだよなぁという気がしていたのです。

 

改めて考えてみても、

・地球にやさしく。

・資源を大切に。

・ごみを削減しましょう。

などと言いますが、地球にやさしくとはどういったことでしょう?

 

そのあとの資源の無駄遣いやごみの廃棄に関する姿勢の問題でしょうかね。

 

よく氷の上で孤独になっているホッキョクグマとか写真に出ますよね。

地球温暖化ってやつです。

よーく考えてみてください。

本当にホッキョクグマのことを考えている人いますかね?

違いますよね。

温暖化が進んで「人間にとって」住みにくい環境になるのが困るから温暖化を食い止めましょう、なわけですよね。

 

クジラやイルカが絶滅するのはかわいそうだが、ホホジロザメが絶滅しようと構わないという価値観ですよ。

 

資源の無駄遣いも自然環境のためというより、人類に都合のいい環境を維持するためのことでしかないです。

 

地球はそうそうぶっ壊れないでしょう。

そもそも58億年の間にとんでもない経歴を踏んできてるんですから。原油が無くなろうと、二酸化炭素で充満しようと、どうってことないんじゃないかと。

 

だから、好きに使いまくろうと言いたいわけじゃないですよ。

なんかですね、偽善的であること以上に、目的感のピントが合ってないためにみんな心のどこかでしっくり来てないものが鬱積しているのではないかと思うのです。

 

例えば、「水を大切に!」って言いますが、いったい誰がどう水を無駄遣いしているんでしょうかね?

水洗トイレのタンクに水を入れたペットボトルを入れて、水量を調節することがいいんだ!なんて言うかもしれませんが、じゃぁ普通に使っている人は無駄遣いしているんでしょうか?

もしそうだとしたら、水洗トイレのメーカーをバッシングして、法律で製造禁止にすべきですよ。

 

少しでも自然に負担を掛けないようにという謙虚な姿勢は大賛成です。

でもそれはけして何かのために行うのではなくて、ありがたく使わせてもらうという姿勢であることが何より大切なのじゃないかと思うのです。

 

「人間の永続的な利益を享受するために、ほそぼそと使いましょう!」

っていうのが、エコロジーなんでしょうか?

翻って言えば、

「人間の利益にならないものならいくら減っても無視しましょう!」

っていうのが裏の声でしょう。

なんて自分勝手な考えだろうと思います。

 

でも、人間は常に自分勝手な生き物だと思います。

そうでないのはアフリカやブラジルなどの原住民族くらいだと思います。(エスキモーなんかもそうですね。)

彼らは自然をわきまえていると思うのです。

日本人もそうですが、特に欧米人はこの辺をわきまえません。

自分たちの都合の良いように環境を変えていきます。そこに合わせようとしません。

だから、エアコンなんかを開発しちゃうんです。

 

エコロジーという一見きれいなイメージのモノにこそ疑ってその本質を見た方がよいなと思っています。

でないと、何も知らずに自然への配慮だと思ってしまいます。

エコロジーがだめだと言いたいわけじゃありません。

その伝え方に問題があるような気がしています。

人間の都合であるということを理解して受け止めるべきだなと思います。

 

ではまた。