【国語のテスト】
嫌いだったですねー。
そもそも本も嫌い、読むの面倒、まして感想文とかの作文は苦痛。。
でもですね。
今は読書を楽しんでます。
それにこんなブログを書いてますので、書くことも苦じゃありません。
そんな状態になってから、娘が小学生だったころにテストをのぞいてみたんです。
文章があって、その下に設問がいくつかならんでる、スタイルは昔から変わってないです。
でも、とても気になったことがありました。
まず、文章の途中途中にある空欄や傍線です。
気になって読書に集中できません。
私の読書は読みながら、空想にふけるような読み方をよくやってしまうので、こんなものがあるととても邪魔です。
これを通して読み方を学ばせようとしているのであれば、スキルを養う前に読書が嫌いになってしまうのではないかと思います。
なぜなら、読めるようになる前に「本が面白い」という感覚を全く味わえないからです。
初めは間違えていてもいいのじゃないかと思います。
それでも面白さを見つけることができたり、あるいは面白そうだという本を見つけたりするのじゃないかと。
うちの子供たちは海外映画を字幕で見ることもありますが、スピードも速いし分からない言葉が出てくることも往々にしてあります。
それでも全体としてのストーリーや画面に集中して追いかけているわけです。
なんで追いかけるかって言ったら、「面白いから」。これしかないですよ。
そういう興味の発掘が何より初めにあるべきだという私の勝手で一方的な持論です^^;
しかもテストでは断片的な文章しか出てこないので、いきなりその世界に入りずらいですよね。
でも回答しないと叱られるわけです。それも正答じゃないと。
でも、正答ってあくまで問題を考えた人の答えなんですよね。
まぁ小学生が解くようなレベルのものはそれでもあまり外れはないような気がしますが、中には私でも「そうかなぁ」と思ってしまうものもありました。
小学生の問題ではないでしょうが、かつて阿部公房さんも「作者の私にだって分からないですよ」と言っていました。たしか、物語の趣旨を問うような問題だったかと思うのですが、彼曰く「それはむしろ読者がそれぞれ考え、受け止めるものが正解だと思っている。」のようなコメントをされていました。
問題の中でも代名詞が指し示すものは何?のような問題は分からないといけないなとは思いますが、文章の趣旨は危なっかしい気がします。
そりゃ、文章そのものの要約的なものは導き出せると思いますが、結局のところ作者というのはその文章から色々なものを受け止めて、あるいは空想したりして、人それぞれの世界観の中で享受してもらえればと思っているのじゃないかと思うのです。
でも国語のテスト的には、読者自身が感じたことではなく問題作成者が期待する解答でないとダメなわけです。
これじゃ、嫌いになりますよね、国語。
それに自分独自の意見はダメで、誰とも知らない他人の意見に迎合するように意識を向けさせられるわけです。
人の感受性を何だと思っているのか、と思います。
小学生の感受性はそもそもとても豊かです。
大人はむしろ感受性については、小学生に学んでもいいくらいです。
それなのに、文章の受け取り方については個人の感受性を否定して、一般的な感受性とやらを押し付けるんです。
これってもはや洗脳じゃないですかね?
私の子供は読書が嫌いです。
そりゃそうだと思います。
できるだけ読書してもらいたいという思いもあり、興味を持ってもらえるために小さいころから紙芝居や絵本を読んで聞かせていました。
でも今のところ嫌いなようです。
親が本をよく読んでいると子供も読むようになると言われていましたが、それも今のところなさそうです。もう少し先の将来で読むようになるのかもしれませんが。
ただ、学校の国語の授業ではもっと本を楽しめるような工夫をしてもらいたいと思います。
昔、灘中学の名物講師がされていた授業方法を思い出します。
彼は一冊の薄い文学作品を3年間かけて授業の中で読み進めたそうです。
特徴的なのは、その読み進める中で例えば「凧を揚げた」のような文があると、実際に校庭に出てみんなで凧あげしたそうです。
とにかく体感させるのだそうです。
そうやってじっくり体でも味わって、物語の人物に共感させたようです。
その教師は感動を味わわせたかったんだと思います。
面白さって、感動なんだと思います。
(こちらにそのお話がちらっとあります→https://www.sinkan.jp/news/2156?page=1)
ぶつ切りの文章を次々に投げつけて、個人の感受性を結果的に否定して、いったい何をしたいのかと思います。
日本は良くゆるやかな社会主義国家と言いますが、本当にそうだと思います。
こういう人間の感受性という生きる上でもかなり重要な部分を汚染するようなやり方は即刻やめてほしいと思います。
国語の授業では「文章から感動を味わう」ということを何より提供してもらいたいと思います。
ではまた。