【トイレの神様】
八百万の神様の話です。
経典があるような宗教ではなく、日本古来の民間信仰です。
トイレだけでなく、あらゆるところやモノに神は宿るということですよね。
でも子供のころは、
「そんなのいるわけないじゃん。」
てな感じであまり気にしてなかったです。
けど、大人になって思います。こういう信心ってとっても大事ですね。
自然物だけでなく、周りの物すべてに敬意を払う姿勢はどうしても人を謙虚にさせると思います。
当然大切に物を扱うと思うんです。
かたずけて部屋をきれいにするし、それだけ物を失くさないでしょうし、さらにはだんだんとすべての挙動に落ち着きが出てくるように思います。
そういった落ち着きや謙虚さっていうのは、自然とにじみ出てくるもので、周囲のひとにも伝わると思うんですよね。
その場その場の空気感も落ち着いたものになりやすいのではないかなぁと。
逆に周囲のモノに敬意を払わないと、かたずけないから部屋は汚いし、物はしょっちゅう失くすし、気持ちもなんだか雑然としてくるように感じます。
かたずけないということは、結局その場その場で物を利用するときだけ存在価値を認めて、使い終わったらどうでもいいという感覚なんだろうと思います。
作業に集中しているときなんかは、どうしてもついその場に置いて忘れてしまうこともありそうですが、それでも常に敬意を払うことが身についていれば、作業が終わった段階でちゃんとかたずけるでしょう。
多分ですが、物をかたずけない人、机の上などが散らかっている人は、物だけでなく、人に対しても価値があると感じた時だけ接する人ではないかと思います。
要するになにかと自分の都合で物事を考えやすい人なんじゃないかと思います。
だから私も自分の子供にはそう言ってかたずけさせることがあります。
でも自分自身もけしてパーフェクトではないので、日ごろから気を付けないとなと思います。
差別するわけじゃないですが、一神教よりこうした民間信仰の方が私は謙虚で自然な形じゃないかと思います。
周囲のものへの敬意については、日本昔話なんかでもよく題材にしてますよね。
傘地蔵、つるの恩返し、ちんちんこばかま、浦島太郎、などなど。
妖怪なんかも魂の存在を信じるという点では同じかなと思います。
日本は、無宗教だとか宗教が定着しにくいと言いますが、キリストもブッダも八百万の神もみんな同列に扱っているのかもしれないですね。
ではまた。